双極性障害を受け入れ人生を楽しむ

うつ病から双極性障害になり もう10年、障害を受入れ、これからの人生をドラクエ10・釣りなどやりたいことして楽しく生きていきます

双極性障害とドラクエ10

ピイットブルです
 
いよいよ、普段やっている「ドラクエ10」を記事にします。
 
どうぞ宜しくお願いいたします。
 
 

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ドラクエ10を始めたきっかけ

 
 
ドラクエシリーズはもう30年以上も前になると思います。
 
 
ドラクエ1・2・3まではやったことがあるのですが
それ以降はやったことがありませんでした。
 
 
きっかけは、友人の父親が最初にやっていたことです。
 
 
その後、友人もやるようになってから、自分に教えてくれました。
 
 
今から5年前のこととなります。
 
 
 
 
 

ドラクエ10をプレイして感動

 
 
実際に「ドラクエ10」をやってみると、最初にすごい衝撃を受けました。
 
 
今までのドラクエシリーズとは全く違っていて、オンラインゲーム
ということもあり、他のプレイヤーがいるのですw
 
 
そんな経験したことなかってので正直ビックリでした。
 
 
それまでやっていた三国志や信長の野望など、面白くなくなりましたね。
 
 
これらのゲームはオフラインであり、ゲームの中盤あたりには人材が
たくさん味方となっていたり、領土を半分以上取ったりしているため、
余裕でクリアできてしまうところが微妙でした。
 
 
その点、ドラクエ10の良いところは数カ月単位で常にパージョンアップが
あったりして、色々なコンテンツができるようになり、飽きないのです。
 
 
 
 
 

ドラクエ10、廃ライトプレイヤーです

 
 
始めた当時は1垢5キャラでプレイしていましたが、2年ほど前には
2垢10キャラに変更しました。
 
 
2垢でプレイしたほうが、色々とメリットがあることに気づきました。
 
 
とはいっても、最初5キャラ以外の後発5キャラは日替わり討伐・職人
・倉庫用としか利用していません。
 
 
ドラクエ10の世界では職業以外に職人システムがあり、最初はストーリー
を進めていくことと同時に、この職人に思いっきりハマってしまいました。
 
 
今では9キャラが、職人(武器・防具・裁縫・道具・木工・調理・ツボ錬金
は2キャラ・ランプ錬金と全8職人)をやっています。
 
 
 
 
 

ドラクエ10は楽しい反面、障害のきっかけに?

 
 
そんなドラクエ10をいつも楽しくプレイしていすが、双極性障害の発端
にもなった可能性があります。
 
 
双極性障害になる2週間くらいほど、前のことです
 
 
原因としては、
 
「うつ病」が回復してから4年間、一切薬は飲んでいなかった
 
仕事が自分的には楽勝ムードがあり、睡眠時間を削ってプレイしていた
 
仕事のことで上司などとの人間関係に亀裂があった
 
仕事の業務内容で不満やストレスを持っていた
 
など色々な出来事が重なり、双極性障害が発病したのです。
 
 
今では、プレイ時間を気にしながら、調整してやっています。
 
 
 
 
ということで、これからドラクエ10についても
記事にしていこうと思います。
 
カテゴリーとしては記事が多くなりそうです。
 
今後、メインキャラ以外の他の4キャラもどんどん紹介していこうと
考えています。
 
どうぞよろしくお願いいたします。
 
それではまた
 
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双極性障害と睡眠

ピイットブルです。
 
現在、自分は「睡眠」について
 
すこし、困っていることがあります。
 
 
「飲んでいる薬のせいなのか?」
 
「陽気が暖かくなってきたからなのか?」
 
「他に原因があるのか?」
 
 
上記のことで、最近この「睡眠」が
 
安定していないことです。
 
 
 
結論から言うと、
 
来週末には「月一回」の精神外来があるので
 
主治医には相談しようと思うのですが
 
その前に自分なりに現状を考えてみました。
 
 
 

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1日10時間以上寝てもまだ眠い

 
 
「よし、今日は早く就寝して
明日はゆっくり起きよう。」
 
 
お昼くらいに目が覚めて行動するの
ですが、食事したり15時くらいに
なったりするとまた眠くなる
 
 
十分睡眠を取っているのに、日中に
また眠くなってしまう
 
 
 
 
 

1日4時間くらいでも全然大丈夫

 
 
「あれ、今日は4時間くらいしか
寝てないのにやけに体調が良い。」
 
 
「4時間でも1度も目が覚めずに
熟睡できたらから大丈夫なのかな。」
 
 
前日に10時間以上、睡眠を取った
ので、今日は平気なのかなと体調が
良いのでよしとしてしまう
 
 
 
 
 

昼夜の睡眠が逆転

 
 
「うーん、昨日は日中も寝てしまった
ので、深夜になってもあまり眠くは
ないなあ。」
 
 
「いやいや、昨日は深夜まで起きて
いたので、日中はやたらと眠くて
しょうがない。」
 
 
1週間のあいだに、このようなことが
交互にきたり、2日続いたりと3月に
なってから少し増えた気がする
 
 
 
 
 

体調が良い時と悪いときがある

 
 
上記のように述べたとおり、
日によってバラつきがあり、
 
 
調子が良い時は
身体も動くし、頭も冴えるし、眠気も
全然ない
 
 
調子が悪い時は
身体はあまり動かないし、頭はすこし
ボーとしてるし、食事後や15時くら
いは、やたらと眠い
 
 
12月・1月のときには、
なかなか布団に入っても寝れなくて
睡眠薬を処方してもらったくらいです
 
 
 
 
 

結論

 
 
現状できることは、
 
来週末に主治医の先生にちゃんと伝える
 
相談の結果、それを実行して対処する
 
しかないと考えています
 
 
 
私と同じ障害をお持ちの方も
 
きっと「睡眠」ということに対して
 
いろいろな悩みや対処法など
 
人によって様々あると思うのですが
 
試行錯誤しているのでしょうね
 
 
 
自分は現状を常にポジティブに
 
受け入れ、心豊かな人生を送れるよう
 
日々、自分を進化(成長)させていく
 
つもりです
 
 
それではまた

双極性障害とメタボリックシンドローム

ピイットブルです。
 
最近、気になっていることが・・・
 
双極性障害とメタボとの関係です。
 
 
直近半年で19キロ増えてしまいました。
 
一番痩せているときは56キロ
 
ちょうどいいと感じていたのが65キロ
 
あれなんか増えたなのとき75キロ
 
現在、89キロ 「これはやばい!」
 
 
自分なりに双極性障害とメタボの
 
関係を調べてみようと・・・怖w
 

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そもそもメタボとは?

 
 
内臓の周囲に脂肪がたまり、
 
さらにいくつかの生活習慣病が重なった状態のこと
 
 
メタボの診断では、まずウエスト周囲径を測って
 
内臓脂肪型肥満かどうかを評価
 
 
さらに高血圧・高血糖・脂質異常の診断基準のうち
 
2つ以上が該当するとメタボと診断
 
 
肥満・高血圧・高血糖・脂質異常のうち、
 
3つ以上が重なると、虚血性心疾患(狭心症、心筋梗塞)
 
のリスクが飛躍的に高くなる
 
 
また喫煙も虚血性心疾患のリスクを高める
 
 
 
 
 

メタボになるとどうなる?

 
 
メタボは食べすぎや飲みすぎ・運動不足といった
 
長年の生活習慣の乱れから肥満となり、
 
高血圧・高血糖・脂質異常が引き起こされると、
 
動脈硬化が進んで心筋梗塞や脳梗塞などの
 
死に至る可能性のある疾患を引き起こす
 
 
さらに、糖尿病になると、その合併症として腎症
 
(人口透析の恐れ)・網膜症(失明の恐れ)・
 
神経障害(下肢切断の恐れ)を起こす可能性がある
 
 
 
 
 

メタボの予防

 
 

食事の見直し

 
食事の時にはゆっくり食べる
 
野菜を多めにしてバランスの良い
食事にする
 
間食や夜食はできるだけやめる
 
脂っこい食事はなるべく避ける
 
食べ過ぎないこと
 
甘いものも気を付ける
 
などなど
 
 

定期的な運動

 
なるべく散歩をする
 
適度な軽い運動をする
 
などなど
 
 

生活習慣の改善

 
規則正しい生活を送る
 
考えすぎずストレスを貯めない
 
などなど
 
 

相談

 
気になる事があれば
 
主治医や薬剤師に相談する
 
 
定期的な服薬・規則正しい生活リズム
 
禁酒・有酸素運動の習慣・適度な活動性を維持する
 
 
 
 
 
 

双極性障害とメタボ

 
 
精神疾患にかかっていると
 
メタボになりやすいらしい
 
 
リスクとしては、精神疾患にかかると
 
食生活や生活習慣が乱れがちになる
 
 
また精神疾患の治療薬のなかには
 
メタボを引き起こす可能性のあるものもある
 
 
体重増加の原因として
 
不規則になりがちな生活
 
服薬しているクスリ
 
暴飲暴食
 
運動不足
 
健康への関心低下
 
などなど
 
 
双極性障害治療の中心となる気分安定薬には、
 
体重増加の副作用がある
 
メタボの診断基準ではウエスト周囲径が基準を
 
上回ることが必須条件となっているが、
 
最近の研究ではウエスト周囲径よりも
 
体重増加がメタボを引き起こす
 
 
メタボや糖尿病に関する情報を
 
主治医や医療スタッフと共有して
 
リスク管理することが
 
安全に治療を受けるためだけでなく
 
治療薬の選択肢を広げるためにも重要
 
 
 
 
 
以上のようなことが、わかりました
 
「いやー、当てはまることが多い!」
 
「自分でコントロールできるのか?」
 
「わかっているけど、やめられない」
 
など、いろいろ考えてしまいますが
 
また躁状態になって入院生活はもう
 
二度としたくないので日々少しずつでも
 
心がけていこうと思う次第です
 
 
せめて75キロくらいで落ち着けたら
 
よいと思ってます。
 
「暖かい日はなるべく散歩しよう!」
 
 
それではまた。

ブログを初めてみて思ったこと

ピイットブルです。
 
 
ブログを初めてみて、数日が経ちました。
 
そんな中、思ったことがあるので、書き出します。
 

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ブログ初心者の自分

 
 
ネットを使っていろいろな方のブログなどを
拝見しているときには、気づかなかったのですが、
いざ作る側になると自分の文章がちゃんと
伝わっているのか考えちゃいますね。
 
それと、ブログ全体のデザインだけでも悩みます。
 
まあ、とにかく慣れることだと思ってます。
 
 
 
 
 

書きたいブログネタは沢山あるが・・・

 
 
自分は趣味が意外に多いので、
カテゴリーが多くなりそうなんですが、
どうやって進めていくか?
 
最初はカテゴリーを少なくして、記事を多くする?
 
沢山カテゴリーを作ってから、記事を書いていく?
 
「うーん、どうしようかなあ?」
 
この悩みが今は楽しいですね。
 
 
 
 
 

Twitterも初心者の自分

 
 
SNSはやったことないに等しいレベルです。
 
実は、Twitterのアカウントは数年前に作ったが、
全くやっていない 笑。
 
ドラクエ10と自分の好きな著名人たちの通知を
 ONにしていたのですが、どんどん通知がくるの
で面倒なのでやめました。
 
ブログ初心者向けのサイトでは、Twitterと一緒に
やると良いとのことですが、どうしようかなあと
いう感じです。
 
 
 
 
 

いろいろ考えずに記事を書いていこう

 
 
記事ネタが頭に浮かんでは消えてしまうので、すぐ
に下書きでも良いから、書きとめておこう。
 
とくかく、コツコツ記事を載せていこう。
 
 
 
 
 

まとめ

 
 
方向性かなとも思ってます。
 
双極性障害を前面に出すとちょっとネガティブ感?
障がいネタは、固い話が多いかも?
 
まだ記事にしてないドラクエ10のことを大きく
取り上げようか?
 
などなど、まとめのはずが、そもそも話が
まとまっていない 泣。
 
「試行錯誤しながらコツコツやっていこう!」
 
それではまた。
 

うつ状態と躁状態になる前後の行動と思考(2)

ピイットブルです
 
 
今回は 
うつ状態と躁状態になる前後の
行動と思考(1)の続編です。
 
 
1回目の「躁状態」になる直前、
どのような行動をして
どのような思考をして
いたかをお話しておきたいと思います。
 
 
  1. 10年前のあの日の「うつ状態」
  2. 1回目の「躁状態」
  3. 2回目の「躁状態」
 
 
2.1回目の「躁状態」
 
それは今から5年前にさかのぼります。
下記のことがいろいろと起きました。
 

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当時の仕事

 
契約時給社員というよくわからない契約で
物流倉庫にて検品や出荷の業務をしていました。
 
 
シフト制になっており、
1か月のうち12日ほどの休日があり
時差出勤や平日休みが結構多いところでした。
 
 
直属の班長と上手く折り合えず、
更にその上の現場責任者の
社員にも目をつけられていました。
 
 
入社4年目ということもあり、自分的には
 
「この仕事は、ぜんぜん楽勝だ」
 
「なぜこの業務は、こんなに非効率なんだ」
 
「夜遅くまでドラクエをやって
       出勤してもなんら影響なし」
 
など
 
完全に自分が躁の状態に向かっていくとは
思いもしなかったのです。
 
 
とある日、
急に「よしもう、この仕事はやめよう」と
辞表の思いを上司に叩きつけました。
 
 
「残っている有給休暇を全て使うので
しばらく休み、
使い切ったら辞めますと・・・」
と言いました。
 
 
 
 
 
 
初めての躁状態
 
有給で過ごしている頃のことでした、
突然「多弁」「多動」「誇大妄想」「不眠」などの
状態が始まったのです。
 
家族および親戚にどんどん介入していって
手当たり次第に、なにか自分の主張を
押し付けているのです。
 
 
 
 
 

叔父さんの死

 
躁状態になる少し前、大変お世話になった私の叔父が
孤独死で亡くなっていたのです。
 
「もの凄いショックでした」
 
よく一緒に釣りに行ったりして、普段は親族の話は一切
否定して聞かないのに私の話はよく聞いてくれました。
 
叔父は生活が苦しかったので「生活保護」を私が勧めて
ちゃんと申請してくれたこともありました。
 
 
 
 
 

錯乱状態・目がおかしい

 
完全に躁状態になっている自分を、
弟(福祉関連NPO代表)は冷静な口調で
 
「兄貴、目がいっちゃってるよ」
「おかしいよ」
 
と言われ、さらに私は更に激高し
 
「お前こそ、おかしいんだ」など
手の付けられない状態です。
 
「俺を入院させるというなら、お前が責任取れ!」
と言いました。
 
後日、弟は私の会社へ説明に行き傷病手当の申請へ。
 
 
 
 
 

車から飛び降りる

 
緊急入院させるということで、家族・親戚中が
集まる中、これから私を県内の精神病院へ車で
向かうというので、私を含め5人でその精神病院へ
行く途中でした。
 
 
1キロあたり走ったとき、車が信号を右折する瞬間、
私は隙をみて車から飛び降りました。
 
 
今思うと恐ろしいことしたと思います。
幸い、全くの無傷でそのまま自宅に向かい
歩き始めていました。
 
 
後から車で追いつかれたのはいうまでもありません。
 
 
今度は絶対に逃げられないように、
後部座席の真ん中で、囲まれた状態で病院まで直行。
 
 
 
 
 

閉鎖病棟・完全隔離

 
精神病院に到着すると、
 
母親が先生に話をしていること
親戚2人が自分を落ち着かせていること
くらいしか記憶にありません。
 
しかし、その後の記憶はありました。
 
閉鎖病棟のしかも誰もいないところに完全隔離
 
手元には県知事の印が押された、身体拘束の
ことなどが書かれた紙 
 
その紙を監視カメラに向け
何かひらすら文句を言っている自分
 
コンクリートの壁を蹴っている自分
 
その壁に頭を何度も打ち付けている自分
 
 
 
 
 

入院生活(1)

 
その後、何日経ったかわかりませんが、
入院生活のはじまり
 
他の患者さんもいる解放された1カ月の入院生活
 
とても親切な看護師さんたちの対応
 
毎日3個の菓子パンを食べたことにより16キロ増
 
この入院生活で一度も先生に会ったことがない?
 
次の受け入れ先の精神病院が見つかったので転院
 
 
 
 
 

転院 そしてまた・・・!」

 
その後、地元の精神病院に転院
 
「なにもしてないのに」
「今までの病院で他の患者さんと
       共同生活して大丈夫なのに」
 
即、閉鎖病棟・隔離・身体拘束へと・・・
・・・なぜ?・・・
 
窓のない隔離部屋・隅に古い便器・1台の拘束用ベット
唯一看護師さんたちが見える鉄格子の小窓
 
食事以外の時間は、常にベットに拘束!
 
トイレに行きたいのに「叫んでもなかなか届かない声」
 
2・3日か?経ったところで、ようやく食事の時だけ
看護師さん達、監視の下の食事
 
自分を自傷するのか?他者を傷つけるのか?
箸は出されず、プラスチックのスプーン
 
 
 
 
 

入院生活(2)

 
その後、他の患者さんもいる閉鎖病棟へ移動
 
時間が経過するのがとんでもなく遅い
 
何度も何度も今日の献立をみる
 
日々そこでの叔母さまと男性2人と私の4人麻雀
 
「早く退院したい」と切に願う
 
楽しみは面会時の差し入れのマック
 
 
 
以上が、
1回目の「躁状態」になったときの経緯です。
 
記憶が完全にあること
曖昧で不鮮明部分があること
 
どちらもありますが、
 
投薬による治療
規則正しい入院生活
 
により、気分が落ち着き自宅療養までいき
月1回の外来受診で安定していることは
良いことだと思っています。
 
 
次回は、2回目の「躁状態」をどこかのタイミングで
お話できれば幸いです。
 
それではまた

実録 障害厚生年金申請 最も重要なこととは?

ピイットブルです
 
現在、私は障害厚生年金(等級:2級)
を受給しています。
 
 
そこで、
私の経験から障害厚生年金申請で一番、
重要なことと感じた
ことをお話しできればと思います。
 
 
 
結論から言いますと、
「初診日」が最も重要だということです。
 
 
 

初診日とは?

 
障害の原因となった病気やけがについて、
初めて医師等の診療を受けた日
 
なんですよね。
 
 
双極性障害と診断されてから
私は傷病手当金を支給されいる立場に
ありました。
 
 
復職を模索しながら
人事担当者の方とやり取りをして
いたのですが、なかなか目途が立たずに
1年6カ月の支給が終わりを
むかえている状況にあったのです。
 
 
そんな中、会社に復帰するには
部署の移動が条件であることを
人事担当者に伝えられ
私の以前の部署には
戻してもらえなかったのです
結局、自己都合退社ということになりました。
 
 
その後、しばらくしてから再就職の目途が
立っていなかったため、
市役所のほうに、国民年金免除申請の相談
に足を運ぶこことなりました。
 
 
何とか国民年金のほうは、
しばらくのあいだ全額免除ということで
無事申請は終わったのですが、
その時、その担当者さんから
「障害厚生年金」のパンフレットを
渡されました。
 
 
私は初めて「障害厚生年金」
という言葉をそこで知りました。
 
 
 
 

社労士さんによる無料相談

 
自宅へ戻りいろいろと調べたのですが、
よくわからないこともあり
市役所の広報情報から、社労士さんによる
無料相談が毎週1回、
あることを知り、
予約を入れて行くことに決めました。
 
 
後日、その無料相談にお伺いをしたら、
そこには2人の社労士さんが
担当してくれることになっているようでした。
 
 
まず。役所から頂いた「障害厚生年金」
のパンフレットをお2人に
お見せしたところ、少し顔をしかめながら、
 
 
「これは、初診日の証明が重要で
なかなか申請を通すことは、
難しいですよ」と一言。
 
 
結局、話は平行線のままの状態で、
良いアドバイスがもらえなかったので、
もう自力で行動するしかないと思いました。
 
 
今思えば、
 
申請者の代理で障害厚生年金に
特化した社労士さんが、
成功報酬型でやっているところが
あるんですよね。
 
借金の過払い金の対応した
弁護士さんと同じように。
 
 
 

自力で申請

 
ということで、
もう自力で申請手続きをすることに決めました。
 
 
まず、地元にある日本年金機構に
予約をして相談しました。
 
 
担当者の方が非常に親身になって
対応してくれたので、説明どおり
に各必要書類をどうすればよいかなどを
全てメモに取り、
自分でやってみることになりました。
 
「受診状況等証明書」
 
「病歴・就労状況等申立書」
 
「初診日に関する第三者の申立書」など
 
全ての必要書類が集まり、後日、お伺いしたら
担当者の方に
 
 
「これで、
すべて申請に必要なものは揃ったけど、
 申請を通過するかどうかは、
私たちもわからないこと」だと
 
最後におっしゃられました。
それも3カ月から6カ月くらいかかるとのこと。
 
 
でも、私はやることは全てやったので、
なんの不満はとくにありませんでした。
 
 
重要なのは、
他者から聞かされることやネットなどで
調べるよりも
 
 

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【自分から動いて現場の方に相談することが、
 
 一番大事なことだと感じました。】
 
 
 
思えば、税務や会計に関してもそうなんですが、
本当に小規模で事業をしているかたなどは、
直接地元の
 
税務署に相談しにいったほうが、
「無料」で「丁寧」しかも「最新情報」
 
までお教えいただいて
大変勉強になるんですよね。
 
 
税務署の方々は決して怖くはないんです
何度か自分も個人的な相談をしたことありますが
すごく親身になって対応してくれます^^
 
 
以上、私の経験上の障害年金申請に関するお話でした。
 
 
それではまた。
 
 
 
 

ブログをはじめてみたら・・・

ピイットブルです
 
2020年となり、
自分なりに「何か新しいことに挑戦してみたい!」
といことで、ブログを始めることになりました。
 
 
普段からノートに勉強になる事などを
書くことが好きなため、
抵抗感が全くないことに、気づきました。
 
 
学生時代からとにかく字を書くことで
頭に記憶が残りやすく、
試験のときなどは、大変役に立ちました。
今でもよくノートに色んなことを書いています。
 
 
皆さんもそうかもしれませんが、
最近ではパソコンやスマホなどで文字を
入力することが多いため、
実際に手書きで何かを書こうとしたとき
 
 
 
「漢字なんだったっけ?」と
なる事が多いのではないでしょうか
 
 
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漢字は、
読むことより書くことのほうが難しいですよね。
 
 
余談になりますが、
以前勤めていた会社では中国との取引があったため、
社内に常時1人は中国人の従業員がいまして
紙に手書きで
 
「私 今 飯 欲」とか書くと
「私は今、ご飯が食べたい」という
 
ことが伝わって、
「おおー、わかるんだ。」と当時思いました。
 
 
 
それだけコミュニケーションを取るとき、
「言葉」って
重要なんだなとつくづく思います。
 
 
ブログを通じて「日記」「記事」として
記録できるし、文書作成・構成のうえでも
非常に勉強になる事が多いので
ブログを始めてみて大変、
良かったと思っています。
 
 
 

https://www.evernote.com/shard/s623/res/8cd227ed-3019-4174-b78e-b9090b9378da

  
 
これからも、どんどんいろんな情報を
アップしていきたいと強く思い、
「コツコツ頑張っていけたらいいなあ」
と感じています。
 
 
それではまた。

うつ状態と躁状態になる前後の行動と思考(1)

ピイットブルです。
 
最初のブログ
でも書いたのですが、
もう少し具体的に当時の「うつ状態」
「躁状態」になる直前、
どのような行動や思考をしていたかを
お話しておきたいと思います。
 
 
  1. 10年前のあの日の「うつ状態」
  2. 1回目の「躁状態」
  3. 2回目の「躁状態」
 
 
1.10年前のあの日の「うつ状態」
 
 
当時、都内某所にて経理の仕事をしていました。
といっても従業員数30名前後の中小企業だった為
会社の経理以外に総務関係や社内ネットワーク
(IT系)のインフラ整備なども任されていて、
非常に忙しい日々を送っていました。
 
 
そんなある年末の時期に事務所の移転計画が持ち上がり、
本社のほうに全員集約させるとの運びとなりました。
 
 
それにより本社の内装工事(レイアウト)や
社内LANなどの大幅な見直しのため
IT業者さんとの打ち合わせやらなにやらで、
通常業務も忙しい中、やらなければならない状態が
続いていました。
 
 
年末ということもあり、経理資料の会計士さんへの
提出書類が、大幅に遅れており、それでも今までの
経験上、「なんとかなる」という自信が
あったのですが、「今回はムリかも!?」
とひとり悩みを抱えてしまいました。
 
 
そんなある日、頭の中の整理が全くできなくなり、
いわゆる「思考停止」状態になっていることに
気づきました。
 
 
自宅では、毎日毎日、このことで頭が一杯になり
睡眠もなかなか取れずにいました。
「要は眠れなかったのですね」、この状態が
1週間ほど続いたときに、
とうとう限界に達してしまったのです。
 
 
「ああ、もうダメだ!」
 
「なんでこんなに自分はダメなんだ!」
 
「もう、死にたい!消えたい!いなくなりたい!」
 
 

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あの日、遂に、会社に行く途中、社長に電話して
現状をお話したら社長が慌てて駆けつけてくれて、
気分を落ち着かせるために、会社近くのリラク
ゼーションサロン、昼食、心療内科へと連れて
行ってくれました。
 
 
心療内科がすぐには診察できないということで、
喫茶店にて時間を潰している時も、社長は付き添って
くれていたのですが、仕事の商談予定が入って
しまったため、代わりに私の仲の良い先輩の従業員
さんを呼んでいただいたのです。
 
 
その後、心療内科が診察できるようになったので、
受診しました。
そのとき、心療内科の先生に相談したのですが
覚えているのは、
 
 
もう「死にたい」ということを
何度も何度も言っていることでした。
 
 
先輩に連れられ、地元も最寄り駅まで付き添いで
送っていただきました。
駅には、母親と叔母が迎えに来ていて、
両者の顔を見たとき、
私は大変「安堵」したことを記憶しています。
 
 
翌日、地元の心療内科に行ったとき、
初めて「うつ病」であると
診断されました。
 
 
結局、その会社は自己都合により
退職してしまいましたが、
成人してから転職2回目の会社で
7年間都内にて色々な業務に携わる
ことができ、また、社内の海外旅行でも
ハワイ・グアム・台湾など
ホントに良い経験と思い出ができたので、
今でも「感謝」の気持ちで
いっぱいです。
 
 
今回は1.10年前のあの日の「うつ状態」
という題材でした。
 
 
次回は2.1回目の「躁状態」について
お話しようと思います。
 
 
それでは、また。

今日は天気が良いのでちょっと江の島へ

ピイットブルです
 
今日は天気が良いので昨年10月に購入したチャリで
ちょっと江の島へ行ってきました。
 

 
 
 
 
「おおー、小田急片瀬江ノ島駅、綺麗になりましたね。」
 
でもコロナウィルスの影響なのか、
人は閑散としています。
 
高校生あたりは、そこそこいましたね。
 

 
 
 
 
快晴ですが、「何しろ今日は、風が強い!」
 
 

 
 
 
釣り人は、そこそこいましたね。
 

 
 
 
新江ノ島水族館の防風林は、
強風のため、斜めってます。
 
 

 
 
ということで、
天気が良かったのでちょっとだけ
江の島周辺をチャリで廻ってきました。
 
「もう、喉がカラカラになりましたよ。」
 
服薬の影響なのか?
体重が19キロも増えてしまったので、
少しづつでも外出して、体を動かさないと
いけないと思う。
 
今日この頃です。
 
ではまた。
 

現在、服用している薬について

ピイットブルです

 

今現在、私がどのような薬を服用しているかを書いておきたいと思います。

 

現在、朝と夕食後に薬を飲んでします。

 

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朝 バルプロ酸ナトリウム徐放B錠200mg

  「トーワ」 2錠

  クエチアピン錠100mg「アメル」 1錠

 

 

夕 バルプロ酸ナトリウム徐放B錠200mg

  「トーワ」 3錠

  クエチアピン錠100mg「アメル」 1錠

 

 

これは昨年7月から変更なく服用しています。

昨年4月あたりから、何となく気分が高揚

5月には「なぜか漠然とした不安」だけが襲ってくる

ため、診察日を早めてもらい薬を少し変更してもらいました。

 

 

昨年の5月・6月は月2回の通院で

あのまま本人と家族が何も感じなかったら、

と思うと「ゾッ」とします。

 

 

最近、春の暖かさがようやく

感じられるようになりました。

 

暖かくなってきたからブログをやり始めたのか?

もっと暖かくなるとまた気分が高揚してこないか? 

などなど、気にしていたらきりがありません。

 

 

コロナウィルスの影響で何か世間が

騒がしくなっていますが、

気にせず、マイペースでのんびりと

やっていきたいとと思います。

 

 

全世界のコロナウィルスが

少しづつでも終息の方向に向かえばといいなあ」

と願っている今日この頃です。

 

 

それではまた。

10年前の最初のうつ病は辛かった

ピイットブルです

 

10年前の最初のうつ病と診断されたときの、

主治医の言葉は今でも忘れないですね。

 

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「君は、よく会社の為に頑張った!」

「もう何も考えなくていいから、安心しなさい!」

 

その後、自宅療養になりましたが、

薬のせいなのか?

病気のせいなのか?

体はだるいし、頭の中も何かモウロウとして動けないのです><

 

夜になると突如目が覚め

重い体をなんとか動かしパソコンの前に座り

ネット検索で「うつ病」と「自殺」の2つのキーワードが、

気になり調べていました。

いま思えば、読んでいるのに内容は全く頭に入っていない状態でした。

 

当時、辛かったのは

「死にたい」「消えたい」「いなくなりたい」

という思いが、頭の中から離れないのです。

 

ある日、私は両親と同居しているのですが、

2人が不在のときに台所の包丁で手首を切ろうとしたり、

自分の部屋のドアノブに電気のコードで首を吊ってみたり、

と「自殺願望」がありました。

 

また、数日後今度は、夜中に当時所有していた車に乗り、

自宅を飛び出したこともあります。

1キロくらい走ったところで、接触事故を起こしたようで

翌日記憶にあるのは、パトカーに乗せられ、

お巡りさんに飲酒チェックをさせられていることと、

「これは飲酒ではないけど、何か変だぞ」みたいなことを

言っていたこと、自宅に自分の車がレッカー車で運ばれている

記憶だけがありました。

 

最初のブログなのに長くなりましたが、

とにかく家族がいてくれて助かったと思いました。

今でも、家族には「感謝」しています。

 

これから、障害のことだけではなく、

いろいろとブログを書いていきたいと思いますので、

どうぞよろしくお願いします。

双極性障害を受け入れ人生を楽しむ 自己紹介です

ピイットブルと申します。
 
ブログ初心者です。
 
今からちょうど10年前に、都内にて7年間多忙な仕事をしていた
36歳のときのある年末の日のことでした
 
 
突然、何も考えられなくなってしまい「うつ病」になりました。
自宅療養しましたが、復職することなく自己都合退職
 
 
その後、親戚の叔父の仕事(一緒にいれば安心なので)をしながら
徐々に 回復傾向になったため、転職(叔父の仕事は超重労働だった
ため自分には合わない)して新しい企業での4年目のある時、
突然の「躁状態」になりました。
 
 
緊急入院で2、3日間だったのか?
「閉鎖病棟にて隔離」
このときの記憶はほとんどありません。
その病院での1カ月の入院生活。
 
 
その後、受け入れ先の地元精神病院に転院。
このとき、何も問題を起こしていない自分に対して
窓もない便器と拘束用のベット1台の部屋で
「身体拘束」され、ドアには小さい鉄格子の窓のみで
正直、私は「絶望」しました。
 
 
このときは、看護師さん達がいるところでの
監視されながらの朝昼晩の食事のこのときだけ、部屋から出されます。
 
 
安定したのでその後は、隔離病棟での1カ月の入院生活
このとき、はじめて先生から「双極性障害」と聞かされました。
当時、先生から母親には「これは脳の病気なんですよ」
伝えられていたようです。
 
 
「うつ病」から回復して4年間も全く問題のなかった生活から
一転、「躁状態」になるとは思いもよりませんでした。
 
 
その後また自宅療養をするも、1年半経ったあたりで
そんな自分が嫌になり投薬を自ら放棄したが、
家族と親戚が異変に気付き、またも緊急入院。
 
 
抵抗するも複数の看護師さん達に押さえ込まれながら、
前回と同じく、「身体拘束」「隔離」「隔離病棟での入院」
いうことになってしまい、1カ月の入院生活でした。
 
 
その後は就労支援サービスを1年利用しましたが、自分には全く
合わなかったので退所しました
 
 
ここ2年は入院することなく、なんとか療養生活できています。
現在は月1回の精神外来の受診を続けている46歳です。 
 
 
あの日からもう10年、もう双極性障害を受け入れ人生を楽しもう
と、心機一転、ブログをはじめてみようと思いました。
 
 
今までの双極性障害エピソード・人生で経験してきたこと・
近況のこと・趣味・考えていることなど
いろいろと綴っていけたらと思っています 
 
 
同じ障害でお悩みの方、またはそのご家族の方々の皆様に
このブログが、何かのお役に少しでも立てれば幸いです。
 
 
どうぞ、よろしくお願いいたします。