双極性障害を受け入れ人生を楽しむ

うつ病から双極性障害になり もう10年、障害を受入れ、これからの人生をドラクエ10・釣りなどやりたいことして楽しく生きていきます

うつ状態と躁状態になる前後の行動と思考(1)

ピイットブルです。
 
最初のブログ
でも書いたのですが、
もう少し具体的に当時の「うつ状態」
「躁状態」になる直前、
どのような行動や思考をしていたかを
お話しておきたいと思います。
 
 
  1. 10年前のあの日の「うつ状態」
  2. 1回目の「躁状態」
  3. 2回目の「躁状態」
 
 
1.10年前のあの日の「うつ状態」
 
 
当時、都内某所にて経理の仕事をしていました。
といっても従業員数30名前後の中小企業だった為
会社の経理以外に総務関係や社内ネットワーク
(IT系)のインフラ整備なども任されていて、
非常に忙しい日々を送っていました。
 
 
そんなある年末の時期に事務所の移転計画が持ち上がり、
本社のほうに全員集約させるとの運びとなりました。
 
 
それにより本社の内装工事(レイアウト)や
社内LANなどの大幅な見直しのため
IT業者さんとの打ち合わせやらなにやらで、
通常業務も忙しい中、やらなければならない状態が
続いていました。
 
 
年末ということもあり、経理資料の会計士さんへの
提出書類が、大幅に遅れており、それでも今までの
経験上、「なんとかなる」という自信が
あったのですが、「今回はムリかも!?」
とひとり悩みを抱えてしまいました。
 
 
そんなある日、頭の中の整理が全くできなくなり、
いわゆる「思考停止」状態になっていることに
気づきました。
 
 
自宅では、毎日毎日、このことで頭が一杯になり
睡眠もなかなか取れずにいました。
「要は眠れなかったのですね」、この状態が
1週間ほど続いたときに、
とうとう限界に達してしまったのです。
 
 
「ああ、もうダメだ!」
 
「なんでこんなに自分はダメなんだ!」
 
「もう、死にたい!消えたい!いなくなりたい!」
 
 

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あの日、遂に、会社に行く途中、社長に電話して
現状をお話したら社長が慌てて駆けつけてくれて、
気分を落ち着かせるために、会社近くのリラク
ゼーションサロン、昼食、心療内科へと連れて
行ってくれました。
 
 
心療内科がすぐには診察できないということで、
喫茶店にて時間を潰している時も、社長は付き添って
くれていたのですが、仕事の商談予定が入って
しまったため、代わりに私の仲の良い先輩の従業員
さんを呼んでいただいたのです。
 
 
その後、心療内科が診察できるようになったので、
受診しました。
そのとき、心療内科の先生に相談したのですが
覚えているのは、
 
 
もう「死にたい」ということを
何度も何度も言っていることでした。
 
 
先輩に連れられ、地元も最寄り駅まで付き添いで
送っていただきました。
駅には、母親と叔母が迎えに来ていて、
両者の顔を見たとき、
私は大変「安堵」したことを記憶しています。
 
 
翌日、地元の心療内科に行ったとき、
初めて「うつ病」であると
診断されました。
 
 
結局、その会社は自己都合により
退職してしまいましたが、
成人してから転職2回目の会社で
7年間都内にて色々な業務に携わる
ことができ、また、社内の海外旅行でも
ハワイ・グアム・台湾など
ホントに良い経験と思い出ができたので、
今でも「感謝」の気持ちで
いっぱいです。
 
 
今回は1.10年前のあの日の「うつ状態」
という題材でした。
 
 
次回は2.1回目の「躁状態」について
お話しようと思います。
 
 
それでは、また。