双極性障害を受け入れ人生を楽しむ

うつ病から双極性障害になり もう10年、障害を受入れ、これからの人生をドラクエ10・釣りなどやりたいことして楽しく生きていきます

うつ状態と躁状態になる直前の行動と考え方(3)

 
すっかりこの記事をアップするのを忘れていたピイットブルです
 
 
過去記事で「うつ状態と躁状態になる直前の行動と考え方(1・2)をアップ
しましたが、(3)の2回目の「躁状態」について書くのをすっかりと忘れて
いました。
 
 
ブログを始めたばかりで読みづらいかもですがご参考に1・2です。
 
 
 
 
そこで当時の2回目の「躁状態」について記事にします。
 

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薬を服薬していることに疑問を感じた!

 
 
今から3年前の11月頃に遡ります。2回目の退院から普段の生活をしている
あるとき、突然、「服薬している薬は本当に効果があるのか?」という強い疑
念に駆られるようになりました。
 
 
当時は日常生活のことや自分が思っていることなをノートにいつも書くように
していました。そこで上記の疑問が「フッ!」と湧いたのです。
 
 
だんだん服薬を毎日続けている自分に対して嫌気が差してきました。
 
 
そこで意を決してレポート用紙に主治医の先生向けに
「今後、薬を服薬することはやめます!」という趣旨の文書を作成して、その
とおりに薬を服用することはやめてしまいました。
日数でいうと5日間でしたね。
 
 
さすがに心配した母親は手を打っており、主治医の先生とは連絡済みだったよ
うです。
 
 
 
 
 

頭が冴えわたりなんでもできる気になった!

 
 
そもそも、後日聞いた母親の話では夏ごろか、夏過ぎあたりからなんとなく私
の変化に気が付いていたようです。
 
 
自分は全くわかりませんでしたが・・・
段々と「多弁多動」になっていったのですね。
 
 
そのことから次々とアイディアが頭に浮かんでくるようになっていました。
 
 
それが
 自分を含め家族のauガラケーをいよいよ格安スマホに替えること
 いつも気になっていたリビングやキッチンなどの整理整頓すること
 ノートパソコンやタブレットを買ってもっと充実させること
などで、実際に実行したものはたくさんあります。
 
 
「もっと何か自分にできることはないか?」
「もっと自分はどうすれば進化できるか?」
 
という考えを持っていたのも上記の発想と同じです。
 
 
 
 
 

強制的に入院させられた!

 
 
そして、とうとう強制的に入院させられることになりました。
今でも忘れることができません。
 
 
リビングで過ごしているとそこへ親戚2人がやってきたのです。家には仏壇が
あるのですが、珍しくこの時期(タイミング)に来たのです。
 
 
なんとなく予感がありました。
仏壇への作法を終えると私に2人は言ってきました。
 
 
「○○さん、ラーメンでも食べに行きませんか?」と言うのです。
 
 
察しはつきました。私を家から出そうとしていて「これは病院」だなと・・・
しばらくの間、外へ「出る」「出ない」でやり取りがありました。
 
 
突然、親戚の1人がキレ出したのです。
もう強引に私を家から出そうとしてきます。
挙句の果てには私の髪の毛を引っ張ってまで・・・。
 
 
玄関から外に出ても私は抵抗していました。
そこには車も用意されていて、間違いなく「強制入院」させられると・・・。
 
 
羽交い絞めのまま倒れこみ、そして地面に頭を打ちつけ、
私は大声で「誰か、助けてー、誰か、助けてー!」と連呼していました。
誰も来ませんでした。
 
 
そして降参し、皆に囲まれながら車で病院へと行くのでした。
運転しながら泣いている親戚を見た時、自分を心配しているひとがいる大切さ
を実感することができました。
 
 
 
 
 

2回目の完全隔離部屋そして身体拘束!

 
 
病院へ着くとそこには先生および看護師たちが総勢8人位いたのです。
 
 
それでも私は独り言で持論を話していますが先生はかわしています。
母親は担当者から入院に関する説明を受けている様子。
 
 
私は母親に
「薬をちゃんとまた飲むから入院だけはやめてくれ!」
「俺から自由を奪うのはやめてくれ!」と何度も繰り返し言いました。
 
 
とうとう入院の決定で私は看護師たちにストレッチャーへ乗せられて完全隔離
部屋への移動そして身体拘束。
 
 
この光景は2度目となりました。
何度でも言えます「最悪です、これほどの屈辱的なことはないくらいです。」
 
 
殺風景な窓のない部屋
殺伐とした湿った暗い部屋
あるのはトイレと拘束専用ベット
看護師たちがいるエリア(すぐそこ)がみえる唯一の小窓
 
 
3度の食事のときだけ出られるが、箸ではなくプラスチックのスプーンのみ。
これは自傷・他傷を防止するためであろう。
 
 
 
 
 

3回目の入院生活!

 
 
前回もそうだが、落ち着いてくる(この状態が3日間)と他の患者さんがいる
隔離病棟へと移動になります。
 
 
そして隔離病棟へいくと他の患者さん達との入院生活の開始です。
4人部屋になりました、皆さんどんな障害を持っているのかわかりません。
 
 
3回目の入院ですが、この生活が続いてくると精神状態が非常に安定して穏や
かになることは間違いありませんね。
規則正しい就寝・起床や食生活、服薬どれをとっても頷けます。
 
 
入院中はやることが
 母親に依頼した本を自宅から持ってきてもらい読破する
 毎回の食事の献立のことばかり考えてしまう
 定期的にくる先生に対して早く退院できるようにとメモをする
など、いくつかやるが時間の経過がゆっくり過ぎることが一番キツイです。
 
 
 
そんな中、麻雀をしているひとたちがいたのです。
ご年配の女性を中心に男性3人がいつもやっています。
いつも近くで私が見ているとできるなら一緒にやりましょうとなかに入れても
らうことになりました。
ゆるゆる麻雀でしかも雑談しながらなので楽しかったです。
自分も点数計算はほどんど友人に任せていましたが、以前の一時期に麻雀をよ
くしたものです。
 
 
という感じで楽しみは、面会時に母親と叔母が持ってきてくれるマックを食べ
ることと麻雀をすることでした。
 
 
そして1カ月の入院生活が終わり自宅療養へと向かいます。
 
 
 
 
 

現在に至る!

 
 
退院して現在に至るまで薬の服薬はちゃんと続けていて、
何か急変などがない限り基本的には月1回の通院もしています。
 
 
しかも前回までは薬は自己管理していたのですが、これを機に母親に管理させ
ています。
もう主治医の先生には完全な信頼を寄せているので困ることもなくなりました。
 
 
これで
 「適切な薬の服用」
 「適切な診断」
が確立されたので、今では本当に安心しています。
 
 
昨年4月末から5月月初(ちょうど今の時期)のある日のことです。
 
天気が良いのでウォーキングを兼ねて海の方へ行ったり、逆に北の中規模な駅
に行ったりしたのですが、自宅に帰ってきてから急に自分の中で、なんとなく
「不安」という気持ちが大きく膨らんできました。
 
そして、本来いく予定の通院日を早めてもらい受診することになり診断の結果
服薬している薬の種類と量を変更して気分は安定しました。
 
 
今現在でもこの薬の種類と量で生活や気分は安定していると思います。
 
 
 
 
 

まとめ

 
 
一番重要なことは
服薬している薬は「自己判断で絶対やめてはいけないこと!」です。
 
 
次に重要なことは
「障害を自分でちゃんと受け入れそれを踏まえて生活していくこと!」です。
 
 
3回目の入院で上記のことを学びました。
今それを教訓として胸に刻んで残りの人生を送っています。
 
 
実際、この双極性障害は一生治らないとか最終的には自殺するなどいろいろと
世間や研究などでは言われていますが、そんなことは気にせず障害がある自分
をちゃんと受け入れて過ごしていくでべきではないでしょうか?
 
 
私は障害手帳を所持して双極性障害の精神2級という事実があります。
社会的弱者などと一度も考えたことがありません
これからの時代は情報的弱者のほうが、厳しいとも思っています。
 
 
今後も私は楽しいことに没頭する心豊かな人生を送っていくつもりです。
 
 
それではまた
 
 
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